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心猿

卵は大いなる道を完了する為に猿に変わった。--『西遊記』、第1章
私の誕生は普通の人間のようではなかった。太陽と月が交媾したときに、私の体は形成された。
--『西遊記』、第86章

悟空は象徴として使用されている卵から生まれた。それは正常な出産ではないということを表している。卵からは鳥が生まれる。鳥は飛ぶことができ、飛翔は「プレゼンス」の状態または「内なる神」を象徴している。

卵の中にいる、中国の創造の神「盘古神」

中断することなく、徐々に神を求めなさい。絶えず動く小さな流れは 汚れることがない。この努力から至福と喜びが生まれる。
この努力は卵であり、幸運は、生まれ出る鳥である。
-- ルーミ(13世紀、スーフィーのマスター、神秘詩人)

卵は「神聖なるプレゼンス」の状態に達するための努力を象徴し、卵から出て来る鳥は、「プレゼンス」が長く継続する状態を象徴する。

卵の中にいる雄大な神は、彼が望むすべての 変容を達成することができるように、偉大な行為の日に空気を 呼吸しなければならないと命じた。-- エジプトのコフィン・テキスト


人間は一度は母から、そして再び自分の体と自分の経験から、二度生まれなければならない。 体は卵のようなもので、人間の本質は愛の暖かさを介してその卵の中の鳥になる必要があり、それから自分の体を脱出することができ、空間を超えて、魂の永遠の世界で飛ぶ。-- スルタン・バフ(17世紀のスーフィー神秘)

悟空は三蔵法師の最も力強い弟子で、彼の役割は天竺への旅の間に三蔵法師を保護することである。言い換えれば、悟空の役割は「現在に存在する」願望を保護するということである。物語の冒頭で、「猴王」は彼に新しい名前を与える師匠を見つける。

お前に孫悟空という法名を授ける、どうだ?(孫悟空の意味は空虚に目覚めた猿である)--『西遊記』、第1章
仏性とは何ですか?それは単に、空虚で裸で目覚めている、あなたの完璧な現在の意識である。
-- チベットのラマ

「現在に存在する」ために自分を空にしてすべての判断の思考を中断し、それらに関与せずに、言葉、アイデア、感情や思考を通過させる必要がある。悟空は師匠から呪文や魔法を学ぶ。これは、「低次の自己」を支配し「神聖なるプレゼンス」に達する為の知識や道具を学ぶ必要があるということを象徴している。

悟空と彼の師匠、陈惠冠・作


顕教と密教に通暁する真の秘訣とは、 生命の道を修むることに他ならず。 その功を成し遂げれば仏や仙人となる。--『西遊記』、第2章

悟空は師匠が彼に教えた呪文や魔法を使いこなすようになった後、自分を強力なものと感じ、誇りと虚栄心が芽生え、天国に問題を起こす。

卵が人になる術を学び、修行の志を立てて道を究める。万劫の永きに高い境地を守っても、にわかの変事に精神は散らされる。天を欺いて高位をねらい、仙人を辱め、丹を盗み、大いなる倫理を乱す。 --『西遊記』、第7章

悟空は自らを斉天大聖「天にも等しい大聖人」と呼び、天国で玉皇大に成り代わりたいと思う。天国は「プレゼンスの状態」を象徴している。



太陽、月、星々の存在するスピリチュアルな天界は、注意深い見張りの状態に達した者の清められた心の中につくり出される。 -- シナイのフィロテオス『フィロカリア』 (ギリシア正教の修道僧による文献)

悟空は、自分が「プレゼンス」が長く継続する状態であると誤解している。

永生の法を数多く知りつくし、
変化の術なら無限にできる。
下界はせまくて嫌になり、
天に住もうと決めたのさ。
霊霞宝殿は永遠に守れないし、
王位とて人が伝えるものさ。
強いのが勝ち、俺にゆずれよ。
上に立つのは英雄だけだ。
--『西遊記』、第7章

この間違いは、道の途中にあり大望を抱く者の間では珍しいことではない。「プレゼンス」のより深い状態を体験した後、高慢になるのは稀なことではない。 人は見栄っ張りである時に「現在に存在することは」できない。なぜならば、「低次の自己」が活発になったからである。

無私無欲と慈悲を知性にしつけていなければ、自分だけの解放を求めるという誤りに導かれやすい。
-- ガンポパ(チベット仏教、12世紀のカギュ派の開祖)

玉皇大帝は如来に助けを求め、如来は悟空に身の程をわきまえさせるために賭けを持ちかける。如来の手のひらから飛び出すことができるならば、玉皇大帝は悟空に彼の王位を引き渡す。しかし、できない場合は彼は処罰される。

私を手でつかむことはできないが、私はあなたを手でつかむことができる者である。-- エジプトの死者の書

悟空は如来の手のひらから飛び出したと思って、「斉天大聖はここにいった」
と書いている( 陈惠冠による)

悟空は、魔法の觔斗雲(きんとうん)で、すぐさま宇宙の果てまで行って帰ったが、彼は如来の手の中から出ていないことに気が付いた。如来は手の向きを変えて、悟空を天の西門から押し出した。悟空が如来の手から飛び出すことができない理由は、如来の手と如来自身が宇宙を象徴しているからである。

三つのステップで、私は宇宙全体を渡る。私は宇宙の魂で、私は普遍なり、私は無限である。
-- マハバラタ(ヒンドゥー教のテキスト)

如来の五指は、五行山と呼ばれる「金」「木」「水」「火」「土」の要素に属する山に変わる。

密教に於いて、「印相」の秘教的な意味にはいくつかのレベルがある。例えば、指は秘教的な要素「金」「木」「水」「火」「土」を表す。 それら五行とそれらのすべてに浸透している意識とで、六界の普遍的な身体を構成している。 -- 山崎 泰広『真言宗、日本の密教』

智拳印(六界)を見せる大日如来坐像  運慶による 1176年(奈良、円成寺所蔵)



「印相」というのは、仏教彫刻と絵画に見られる、ある意味を象徴的に表現する両手のジェスチャーである。 五指も、「プレゼンス」を発生させるための「低次の自己」を制御する道具を象徴している。

五指は、単一の仕事を実行する。-- ルーミー (13世紀、スーフィーのマスター、神秘詩人)
わが岩なる主は恵むべきかな。主は、いくさすることをわが手に教え、戦うことをわが指に教えられる。-- 聖書、 詩篇 144:1




天に逆らったために悟空は罰として、経典を受けるためにインドへ旅する三蔵法師を500年間待機しなければならない。 三蔵法師の弟子となって天竺までの取経の旅を助けることになると、彼は再び自由になることができる。三蔵法師は、五行山の下敷きに悟空を発見したとき、彼を解放し、「行者」という名前を与える。 中国語の「行者」の文字通りの意味は歩行者または修行を行う者という意味である。つまり「現在に存在する努力」を行う者ということである。(道を)歩くことは「現在に存在する努力」を行うことの象徴である。

タロットの「吊された男」
Colossal statue of Senusret I Egyptian Museum, Cairo



神のプレゼンスの中で歩くことに慣れ、彼の想起を維持しなさい。-- 世捨のシオファン『フィロカリア』 (ギリシア正教の修道僧による文献)
ダルマの中を歩き、正道で歩きなさい。-- 仏陀
あなた自身の足で歩きなさい。あなたは、逆さまに歩いてはならない。
-- エジプトのコフィン・テキスト

タロットの「吊された男」は心理的に眠っている人間を象徴する。




「行動する」の内面的な意味は、「現在に存在しよう」と想起した直後に実際にその努力を行うということである。

行為を通じて、死の海を渡れそして、不死に入りなさい。-- ウパニシャッド(ヒンドゥー教のテキスト)
あなたの心に、すべての呼吸とともに神のことを歌わせなさい。 あなたの良い行為はあなたを生と死のサイクルから救う 。 -- グル・ナナック(16世紀の最初のシーク教の教祖)

孫悟空は「心猿」とも呼ばれている。

体は猿だが心は人、たとえ猿でも思いは深い。 --『西遊記』、第7章
徹底的に心猿という心の機械的な動きを理解し、三千の成果で天に達する。
-- 張伯端(12世紀の道教の老師)『悟真篇』

心が制御不能である場合、それは、「神聖なるプレゼンス」の状態に到達する障害になる。しかし、心が制御され、「神聖なるプレゼンス」に到達するための道具や知識を持っていると、それは「支配の原理」または「執事」と呼ばれる。

頭の上に「カー」があるファラオ
(カイロのエジプト博物館)


人間は、召使いが沢山いるのに主人も執事もいない家に喩えられる。まず、執事の到着にそなえて家の準備がなされ、そして執事は、主人の到着にそなえて準備をする。-- グルジェフ(20世紀第四の道の神秘思想家)
そこで主は言われた、「主がその家を支配させる忠実な思慮深い執事は、いったい誰であろう」。-- 聖書、ルカによる福音書、 12章42 話
彼は執事で、彼の手は神の手である。 -- ルーミー (13世紀、スーフィーのマスター、神秘詩人)
家の中の人々は全員幸せだった。自分達を同じ姓に統合することにより彼らは、仙人として名が連ねられるのを待っている。 --『西遊記』、第2章




家というのは人間の存在が持つ多数性を象徴する。その「複数の<私>」を支配することを学べる部分は 心(知性)または「執事」である。 「執事」は、「プレゼンスの状態」に到達するために必要な道具とともに、意識的なスクールで学ぶことができる知識と理解を象徴している。悟空がだまされて頭に着けているヘッドバンドは、心の制御を象徴している。知性の役割は「神聖なるプレゼンス」に到達するために、心に仕えることである。

真に知性のある者とは、その知性が心に従っている者のことである。
-- イブン・アラビー(12世紀、イスラム神秘主義者)

悟空は三蔵法師に仕える必要がある。三蔵法師は「プレゼンス」に達するための願望を象徴し、願望が十分に強ければ到達可能である。しかし、願望だけは十分でなく、それに知識と技を加える必要がある。それは例えば、何度も「複数の<私>」に耳を傾けるように騙す「低次の自己」の策略についての知識である。「低次の自己」がどのように、「現在に存在する」努力に割り込むのかについての深い理解も必要である(プレゼンスの状態を象徴する阿弥陀仏の浄土への、三蔵の旅を中断する悪魔)。「現在に存在する」ための努力を行うときに、実際に「中今を生きる」技能を取得する必要がある。これはすべて、常に鬼の変装を見破ることができる悟空に象徴される。彼は三蔵法師を救い出すために、師匠から学んだ呪文や魔法を使用して悪魔と戦う。 

秘密の素晴らしい呪文は永遠の命を与える。 --『西遊記』、第68章

孫悟空のもう一つの名前は「猴王」である。

あなたという存在の王国がよく治められているなら、あなたの信仰を守って、それを役立てなさい。
-- イブン・アラビー(12世紀、イスラム神秘主義者)
人間の体は国のようなものであり、心は支配者のようなものである。
-- 劉一明、(18、19世紀、道教の老師)『易経の解説』

人は国や王国に例えられ、王国は王によって支配される。孫悟空のもう一つの名前は「猴王」であり、これは悟空が、人間の存在という「王国」を支配することができる、人間の中の一部であることを象徴している。この部分は、召使い思考や感情)が有用であるふりをしているが実際には、「現在に存在する」努力から自分を離れさせようとしていることを認識できる。

悟空は悪霊と戦うにもかかわらず、一人ではそれらを打ち負かすことができず、神様からの助けを求めるために天国に行かなければならない。


第四の道と秘教的な伝統⎟ 日本文化におけるプレゼンスの象徴 神聖なるプレゼンスの技術


英語のウェブサイト: The Secret of the Golden Flower ⎟ The taoist I Ching Being Present First