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「西遊記」における数の象徴

数字は神の思考である。 神の知恵は、すべてのものに感銘された数字に反映されている。 物理的および道徳的な世界の構築は、同様に永遠の数値に基づいている。-- 聖アウグスティヌス(5世紀、キリスト教聖人)

すべての経典のように、「西遊記」でも、特定の概念を象徴する為に数字を使用している。例えば、悟空が師匠から教えられた筋斗は特定の距離を架かる。

ひとつ筋斗するで、十万八千里サキまで飛んでいけるぞ。 --『西遊記』、第2章

すべての東洋の宗教に、情念を支配することを象徴する「百八」という数字を見つけることができる。仏教では、「百八」が煩悩を示す。中国の长安からインドの天竺にいる仏陀への旅も十万八千里である。 これが、情念を支配すると、「プレゼンス」を達することができることを象徴する。

西方の仏様は、天竺国なる大雷音寺におられますから、ここから十万八千里もの道のりがありますぞ。
--『西遊記』、第14章
西方浄土 (阿弥陀仏の浄土、プレザンスの状態を象徴している) はここから遠くない。なぜならその距離は十万八千里であるが、これは実は私たちの内にある「十の悪」と「八つの誤り」を象徴しているからである。
-- 慧念(7世紀の中国禅宗の六祖)

「西遊記」にある悪魔に象徴される情念は、「現在に存在すること」から私たちを防ぐ「低次の自己」からの多くの欲望を示す。情念を追求すると、「現在に存在したい」という願望が現れする機会がない。そのため、人は情念を制御することを学ぶ必要がある。情念のいくつかの例は、否定的な感情、判断、虚栄心、空想、過食、執着などである。

「低次の自己」からくる情念に従う者には、スピリチュアルな訓練、「低次の自己」の浄化、
想起の実践への献身が必要である。-- アル・ジラーニ(12世紀、スーフィーのマスター)

アル・ジラーニが話している「想起」は、グルジェフが話している「自己想起」と同じことである。 スーフィー(イスラム教の神秘主義)はこれを「神の想起」を呼ばれる。神の「内的な意味」は「プレゼンス」の状態であるため、「神の想起」と「自己想起」は、同じ意味である。

72という数字も情念を示す。

探求者が道から逸れてもそれを許すがよい。七十二もの教義が絶えず探求者を呼びかけているからである。
-- ハフィーズ
さるの王さまは修練し、七十二般の変化の術をすべて覚えてしまいました。 --『西遊記』、第2章

36という数字も情念を示す.

快感の対象へ向かって三十六の渇望の川が激しく流れている者は、情念の波によって流し去られる。そのような者の洞察力は乱れており、その思考は邪悪である。-- 仏陀
行満ちて今こそ成仏し六六の塵を洗浄したり。 --『西遊記』、第98章

9という数字も情念を示す。(「三十六」、「七十に」、「八九」、「百八」はすべて、九の倍数である)

観音は、災難簿にざっと目をとおすなり、口疾にこう言いました。「仏門では、九九の数こそが真に帰すのだ。聖僧は、八十の難をすでに受けているが、それでもまだ一難が不足していて、九九の数を満たしておらぬの。これ、掲諦よ、そなた、金剛を追いかけて、もう一難だけ追加させなさい」。 --『西遊記』、第99章
九九の数完うし魔は尽く滅ぶ --『西遊記』、第99章
九頭駙馬(きゅうとうふば)は彼の全力を示した。怪物の九つの頭の十八の目が明るく輝いていた、前後に見て回る。 --『西遊記』、第62章

悟空は九頭鳥と戦う(陈惠冠・作)

悟空は九頭駙馬と戦う(陈惠冠・作)




















第24章では、三蔵達は世界に類を見ない奇妙な木がある万寿山の五庄観にたどり着いた。。万寿の内的の意味は、長く継続する「プレゼンス」の状態である。

悟空は「人参果」を選ぶ(陈惠冠・作)

万寿山の山中に「五荘観(ごそうかん)」というお寺があり、
この五荘観には、世界に類を見ない奇妙な木が生えていた。
その木は3000年に一度だけ花が咲き、
3000年に一度だけ30個の実をつけ、
その実は3000年かかって熟し、
さらに食べごろになるまで1万年も
待たなければならない不思議な実だった。
その実は「人参果(にんじんか)」といった。
形はまるで人間の赤ん坊そっくりで、
匂いを嗅ぐだけで360年、ひとつ食べれば
4万7000年も長生きできるそうだった。
--『西遊記』、第24章



星々が30個ある狭い門を入るホルス(アニのパピルス、大英博物館)

30という数字は特別な意味がある。

精神生活に関して、30という数字は美徳の修行の意味である。-- マクシムス・コンフェッソル『フィロカリア』(ギリシア正教の修道僧による文献)
旅に出た鳥の数千のうちに、内面世界に神の顔を観ずる 外の世界から30鳥しかいなかった。 -- ファリドゥディン・アター(12世紀スーフィーの詩人)

上記に述べたように、神は自分の中の神、「神聖なるプレゼンス」の状態を示す。

人間の美徳というのは、「彼が熱心に神を求める」方法である。そして、彼は神を見つけたときに、「全力を尽くして神に保持する」方法である。-- クレルヴォーのバーナード (12世紀フランスの修道院長)
星々を美徳呼びなさい。-- クレルヴォーのバーナード(12世紀フランスの修道院長)

美徳が、「神聖なるプレゼンスを求める」方法である。 人参果30個、美徳30個、星30個や鳥30匹はそれぞれ、「現在に存在する」ことを思い出すための30個の喚起を示す。たとえば、この文章を読みながら、「現在に存在すること」を思い出すために「読んで」(読みながら現在に存在するという意味)を自分に言う。 各イメージ(人参果、美徳など)は、「プレゼンス」の状態の異なる側面を表している。 人参果は人間の赤ん坊のような形をしていて、「現在に存在しようとする」とき、すべての態度や意見を取り除き、新生児のように心が空である必要があることをしめす。 そして「プレゼンス」は人間の最も有用であり、望ましい品質である。なぜならばこの状態は不滅で、時間の外であるからである。

アリス「永遠ってどれくらいの長さなの?」白ウサギ「時々はね、たった一秒だよ。」-- 不思議の国のアリス

星は古代では、夜間において星が海でのナビゲーションの役割を果たし、人間を目的地に導く。星は「現在に存在すること」の喚起を象徴する。それは、人間を悟りの状態に導く、起きている時間を費やしている暗闇の状態での光の火花である。 鳥のイメージは、「プレゼンス」の状態と人間の正常な状態は、飛ぶことと歩くことと同じのように異なっていることを意味する。

Thirty gods of the 30 days of the months, 1566 AD, Daihōji Temple, Toyama Pref.
Thirty gods of the 30 days of the months, 1572 AD, Daihōji Temple, Toyama Pref.
ウナスよ、見て!
ウナスよ、聞いて!
ウナスよ、存在しなさい!
- エジプトのピラミッド·テキスト

これらの巻物は、日本の三十日秘仏や三十番神を表わす。 They are called 30 Gods of the 30 Days of the Month, one for each day of the 30-day lunar month. There exist ten different groupings of these Gods in Japan, some related to Buddhism and some to Shintoism, each protecting one day. A day symbolizes a breath.

You will find the day spoken of as the breathing.
-- Bernard of Clairvaux (12th c. French abbot)

These thirty gods also symbolize reminders to be present. Each reminder is timed with one`s breath, so that one is present for one breath.

To breathe consciously means passing from one breath to the next in presence, not in heedlessness. Do not allow a single breath to be drawn empty and heedless of God. -- Kashghari (15th c. Nakshbandi Sufi) 

以下の引用文では三、四、六および十の数字はそれぞれ長く継続する「プレゼンス」の状態に到達するための呪文やマントラを表す。その呪文はやマントラは、「意識なスクール」で、教師の指導の下、これらを使用する方法を学ぶことができるで説明される。

六つの正方形と四つの円形のテラスがあるボロブドゥール
(9世紀、インドネシア)
三宝は巍巍たり道を尊ぶべし、
四生と六道は尽く評論せらる。
--『西遊記』、第12章
悟るときは十地と三乗を超え、
四生と六道をも凝滞せしめん。
--『西遊記』、第8章



十牛の画、徳力富吉郎作
天国へ導く十ステップがある。この十ステップを通して神を知ることができる。はしごは確かに短いかもしれないが、 心の中でそれを経験することができるならば、あなたは世界が含むことのできない富を見つけるだろう。-- 僧・セオファナス『フィロカリア』 (ギリシア正教の修道僧による文献)

6つの大きな地蔵菩薩と4つの小さな地蔵菩薩(東京、南谷寺)

地蔵菩薩の4つの小さな像











諸君、いつも十善を行ずるならば、天国はただちに訪れて来る。-- 慧念(7世紀の中国禅宗の六祖)

六つ道は、「現在に存在すること」を助けるために6つステップまたは6つ音節をしめす。以下の引用で、それらはまた「日」、「竜」,「階段」や紅茶の「碗」として象徴される。

解放へと導く六つ道がある。-- ミラレパ
安息日を覚えてこれを聖とせよ。六日の間働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、何のわざをもしてはならない。-- 出エジプト記 20:8-10
非常にはっきりと因果を理解しているため、六つの階段を正しい時に昇り終え、六頭の龍に乗っているがごとくに、六つの階段の上で正しい時に天に昇る。-- 易経
「舎利弗よ、もし善良な者が阿弥陀仏の名号を聞いて、その名号を心にとどめ、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日、一心に思いを乱さないなら、その人が命を終えようとするときに、 阿弥陀仏が多くの生者たちとともにその前に現れてくださるのである。するとその人がいよいよ命を終えるとき、心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀仏の極楽国土に生まれることができる。」 -- 阿弥陀経

南無阿弥陀仏の六文字を発する僧・空也上人、康勝による 、
13世紀(京都、六波羅密寺)

ロープを保持する6人のエジプトの、イメージ(オランダ、ライデン) )











太古の昔、魔法をかけた鍛冶場で、
サー・ヘンリーは鉄と木で竜を作り上げた。
清らかな心が魔法の鈴を鳴らすと、
竜は目覚めて六つの方角へと飛翔する。
冥界の竜は絶望から逃れ、
希望をもたらす。
天国の竜は真の愛の贈り物を
携えて到着する。
そして世界の四隅から
平和、健やかさ、知恵、幸いがやって来る。
-- 竜の木の伝説

「父なる神」に登る六天使
バース大聖堂の左塔(英国、16世紀)

一碗飲めば喉や口が潤い、
二碗飲めば寂しさと鬱を除き、
三碗飲めば干涸びた腸を探り、
中には五千巻の書物があるばかり、
四碗飲めば軽い汗が出て、
今までの不平不満が毛穴から抜ける。
五碗飲めば肌や骨まで清らかになり、
六碗飲めば仙界へ通ずる。
七碗はもう飲めない。
両袖から清風が吹き抜けて行くのを感じ、
不死の島へと浮かんでゆく。
-- 盧仝、8世紀の道家詩人

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英語のウェブサイト: The Secret of the Golden Flower ⎟ The taoist I Ching Being Present First