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三蔵法師、孫悟空猪八戒の相互関係

物語の中で最も重要な役割は三蔵法師に象徴される「現在に存在したい」心と知識や技能を持つ孫悟空に象徴される執事または支配の原理である。本能センターを象徴する猪八戒も重要な役割を果たしている。本能センターは、実際は「現在に存在すること」に興味がない。それは常に自分のことのために働いて、「プレゼンス」への旅を終了する方法を見つけようとしている。基本的に猪八戒は食糧、睡眠と女性に興味を持っている。彼は常に悟空と衝突し、悟空を三蔵の目に悪く見えるようにしようとする。

かくて、この化けものは、陰風をとめるや、穴の中で体をひと揺すりしたものです。 それで、月が花にも見まがう美女に変身したのでした。左手には青い素焼の壷、右手には緑色の磁器の瓶をぶらさけ、西から東に向かって走ってくると、三藏のほうにやってまいりました。「女性の菩薩、どこへ行く?何を運ぶ?」彼が言いました。彼女は明らかに悪魔だったが、彼はそれに気がついていない。彼女は答えた。「長老、私の青壷にはいい香りのご飯、緑瓶には麺筋が入っています」。「お師匠さま、目の前の女が、信心ぶかいなんて、とんでもない!化けものですよ。あなたをだましにきたんですよ」。悟空は化けものめがけ、鉄棒を真っ向から振り下ろしました、すると敵もさるもの「解屍法」を使ったものです。つまり、悟空の鉄棒が振り下ろされたと見るや、にせの体をそこに置き、本人は勇気をふるいおこしてとんずら。ですから悟空がたたき殺したのはそのにせの体だったのです。そのにせ死体が、まだ地べたに残っているものですから、三藏はたまげて、ぶるぶる震えております。そして文句たらたら、「このさるときたら、なんという無礼者だ。あれほど言ったのに無視して、とうとう人の命をあやめてしまったな」。すると悟空、「お師匠さま、そんなに、責めたてないでくださいや。まずは、この壺の中をのぞいてください。中に何があるか・・・」。いい香りのご飯どころか、壺いっぱいにもぞもぞしている蛆だったのです。麺筋どこか、蛙だ、がまだ、がピョンピョン飛びはねているのです。さすがの三藏も、三割がた信用しかけたのですが、八戒のほう収まりません。横から三藏をけしかけます。「お師匠さま、この女は、このあたりの農婦ですよ。畑まで弁当をとどけにいく途中で、ばったりおいらたちに出くわしただけのことだったのに、兄貴ときたら、なんで化け物ときめつけるんですかね?兄貴の鉄棒は、めちゃ重いもんだから、戻ってきたとき、試し打ちをしたくなり、そうしたら、たたき殺しちまったんです。それで、お師匠さまに『緊箍児呪』を唱えられるんじゃないかと、びくついたあげく、障眼の法をかけ、せっかくの飯をこんなものに変えて、お師匠さまの目をくらまし、あの呪文を唱えさせないようにしたんですぜ」。ああ、 八戒のこの一言によって三藏はとんだ災難を招いたのでした。ですが、そのときはあほんだらのそそのかしに乗って、印を結ぶや、例の呪文を唱えました。すると悟空はたちまち、「あたまが痛い!あたまが痛い!唱えないで、唱えないでくださいや!言いたいことがあるなら、言ってくださいや!」-- 『西遊記』、第77章

誘惑者(ストラスブール大聖堂、13世紀)


執事を象徴する悟空は、「現在に存在したい」願望を守るという彼の仕事をやっているが、本能センターを象徴する猪八戒は、意図的に旅を妨害する目的で、悟空を邪魔する。本能センターは多くの苦しみと苦難に満ちている「プレゼンス」への旅より、快適な生活を好む。

ストラスブールの大聖堂にある左の像は誘惑者を示している。聖書の誘惑者の物語は、上記の引用に伝えた概念と同様のことを象徴している。 「低次の自己」は「現在に存在する努力」から誘い出すために、いくつかの興味深い考えを提供している。これらの考えは、林檎や「西遊記」の青の土鍋や緑の磁器ポットに象徴される。 誘惑者の背面や悪魔の鍋にある爬虫類は「低次の自己」を象徴し、「低次の自己」はこのまやかしの背後にあることを示している。





那唐僧在马上,又唬得战战兢兢,口不能言。八戒在旁边又笑道 :“好行者!风发了!只行了半日路,倒打死三个人 !” 唐僧正要念咒,行者急到马前,叫道 :“师父,莫念,莫念!你且来看看他的模样 。”却是一堆粉骷髅在那里。唐僧大惊道:“悟空,这个人才死了,怎么就化作一堆骷髅?”行者道 :“他是个潜灵作怪的僵尸,在此迷人败本,被我打杀,他就现了本相。他那脊梁上有一行字,叫做白骨夫人 。”唐僧闻说,倒也信了。怎禁那八戒旁边唆嘴道 :“师父,他的手重棍凶,把人打死,只怕你念那话儿,故意变化这个模样,掩你的眼目哩!”唐僧果然耳软,又信了他,随复念起。行者禁不得疼痛,跪于路旁,只叫 :“莫念,莫念!有话快说了罢 !-- 『西遊記』、第27章

十三のタロットカード 「死」


三蔵法師は「現在に存在すること」に専念し、教養ある心を表わしている。 しかし、彼は非常にナイーブであり情に脆くて、悪魔の変装を見抜くことができない。 正義は彼にとって非常に重要であり、彼は真実を見抜くことができず、理解しているものから行動することしかできない。そのため孫悟空が一見不当な何かをしたときに、彼は多くの場合、孫悟空に対して不満を感じる。 これの内的の意味は、我々が「現在に存在する努力」をするとき、不当であると感じる物事を含む全ての悩みを手放す必要がある。なぜならば「低次の自己」は、非常に面白い思考を作り出し、私たちが「現在に存在すること」よりも、それらに興味を持つようになるからである。 正義は毎日の生活のレベルには存在しておらず、それはより高いレベルにしか存在しない。 目覚めるために自分が経験する全ての摩擦を受け入れ、プレゼンスに変換するためにそれを使用することを学ぶ必要がある。摩擦がうまく変換されたとき、その摩擦は重要でなくなり、自分の人生に対して現在に存在するという奇跡に感謝するようになる。 三蔵は覚醒が戦争であるということを望んでいないが、それはそうである。 しかし、経験を通して、彼はだんだん悟空を信頼し、猪八戒がどんな人物であるかを学ぶ。




死のダンス、15世紀(スイス、 ベルンのミュンスター)


天の扉を開くための戦争がある。そのような戦争を戦う
運命に生まれた戦士は幸いである。
-- バガヴァッドギーター
(ヒンドゥー教のテキスト)

タロットの「死」のカードの骸骨は西遊記での悪魔の死体と同じように「低次の自己」を象徴している。






第四の道と秘教的な伝統⎟ 日本文化におけるプレゼンスの象徴 神聖なるプレゼンスの技術


英語のウェブサイト: The Secret of the Golden Flower ⎟ The taoist I Ching Being Present First